正月だからといって京都のような大観光地で美術館が閉まっているのはどうなんだろうと思わぬではない。
その点、福田美術館は開業以来ずっとこの正月興行を続けている。それでも珍しいことに、渡月橋の目の前なのに、意外にインバウンドの客は少ない。
伊藤若冲もそれこそ京都で学生をしている頃からずいぶん見てきたはずなのに、当たり前のように、未見の作品を目にすることができる。

https://cdn-ak.f.sthatena.com/images/fotolife/k/knockeye/20250108/20250108045335_original.jpg
これが世界初公開だそうです。
伊藤若冲はもともと青物問屋の跡取りだったはずなので、例えばライチとか、そんな果物が江戸時代にあったの?って感じ。
伊藤若冲といえば

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/knockeye/20250106/20250106171638_original.jpg
という鶏もありましたが、個人的には

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/knockeye/20250106/20250106173028_original.jpg
あと、それから、《乗興舟》があって「?」となったのですが、というのは、千葉美術館の所蔵と思っていたので貸し出しかと。ところがよくよく聞いてみると、あの巻物は版画だったんですね。なので、今ふうにいうとエディションがあるのですね。
あの白黒反転したような画面は、一般的な版画と違って、拓本をとるような刷り方をしたそうで、ああなってるみたいです。
伊藤若冲が相国寺の大典和尚と淀川下りをした折りの感興を絵画化したものだそうなので、上方落語の「三十石」を聞いていると夜舟だと思ってしまうので(三十石は夢の通い路)あの絵も夜景だと思ってたのですが、よく考えれば夜じゃ見えないか。でも、夜に見立てたかもな。
https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyohaku/A甲1312?locale=ja
伊藤若冲30点に加えて、鶴亭の作品も複数ありました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/knockeye/20250106/20250106171626_original.jpg

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/knockeye/20250106/20250106170720_original.jpg
鶴亭については、2016年に神戸市立博物館で展覧会があった。鶴亭は画号で黄檗僧としての名は海眼浄光というらしいが、25歳で還俗しているので画僧といっていいかどうかよくわからない。
沈南蘋の直弟子の熊斐に学んで沈南蘋派の画風を伝えた。この人が長崎で熊斐に学んだ画風を京都に伝えたってことなんだろう。沈南蘋の影響は伊藤若冲にも見られる。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/knockeye/20250106/20250106171221_original.jpg
鶴亭は木村蒹葭堂の絵の師匠でもあったそうで、木村蒹葭堂の水墨画もあった。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/knockeye/20250106/20250106171544_original.jpg
常設展あつかいの第3室も今回は曾我蕭白、円山応挙。贅沢。見逃せない。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/knockeye/20250106/20250106171403_original.jpg

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/knockeye/20250106/20250106171412_original.jpg
2025年1月19日まで。
美術館「えき」KYOTOで、小松均展が開かれている。2025年2月3日まで。
小松均は明治以後の水墨画家では最も重要な画家だと思う。
今は、水墨画の最盛期と言われる室町時代の絵から江戸末期の狩野芳崖まで、並列に並べて見られる環境にある。それこそ国宝中の国宝、長谷川等伯の松林図屏風まで引き合いに出さずとも、円山応挙、長沢蘆雪、曾我蕭白、伊藤若冲など、ほとんど幕末というべき絵師たちの水墨画から明治以後の画家へと急速に水墨画の技術が失われていく。
具体的にいえば、富岡鉄斎、河鍋暁斎など同時代人に絶賛されていた絵師たちの展覧会を観た時のガッカリ感。志賀直哉だったか夏目漱石だったかの小説に、富岡鉄斎を絶賛する客人に、内心、そんなはずはないと思うシーンがあった。
明治と江戸に文化的な断絶があるのがよくわかる。それこそ木村蒹葭堂などの文化人ネットワークが失われて、そして、何が失われたかさえ気がついていなかった可能性がある。
明治以後の文化人たちは内心、水墨画をバカにしていた。今にしてみればどっちがバカなのかいうまでもないが、当時の彼らの感覚としては浮世絵はもちろん水墨画なんてアートじゃなかった。
河鍋暁斎、富岡鉄斎はそんな時代の何かしらの何かだったみたい。今プレーンに見てこの2人を評価する気になるかどうか。
小松均は室町以来の水墨画への回帰というだけでなく、西洋画の影響を経た上で東洋的な精神性に回帰した最初の画家だと思う。