『アリー/スター誕生』4度目のリメイクの意味

 『スター誕生』のオリジナルが公開されたのは1937年、まだ第二次世界大戦も始まってない。ジュディ・ガーランド版、バーブラ・ストライサンド版に続き、今度のレディー・ガガ版は、4度目のリメイク。
 ストーリーの骨格はすごくシンプル。大スターが無名の新人を見出し、新人は大ブレイクするが、対照的に彼女を見出したスターの方は落ちぶれていくという話。
 なので、アレンジしやすいとも言える。フランス映画として初めて米アカデミー作品賞を受賞した『アーティスト』とか、今年公開された三木聡監督、吉岡里帆阿部サダヲ主演の『音量を上げろタコ!なに歌ってんだか全然わかんねぇんだよ!!』も、その変奏と言えないことはない。
 しかし、前回のバーブラ・ストライサンド版からすでに40年以上も経って、タイトルもそのまま、堂々とリメイクするモチベーションは何なんだろうと訝っていたが、どうやら監督も兼ねているブラッドリー・クーパーにこの作品が降りてきた気配があった。
 レディー・ガガが今さら女優に色気を出すはずもなく、ドラマの比重は、ブラッドリー・クーパーの演じるロックスターのジャックの方にずっと重い。
 1937年のオリジナルはもちろん、ジュディー・ガーランド版も、バーブラ・ストライサンド版も知らないので比較できないが、少なくとも、このレディー・ガガ版は、だんだん落ちぶれていく男の嫉妬や焦燥ではなく、自分が見出した才能が、商業主義に呑み込まれていく虚しさや孤独感がむしろ丹念に描かれている。
 映画の冒頭から、ジャックはロックスターの暮らしに飽き飽きしている。その虚栄のむなしさが骨身にしみている。だからこそ、アリーの歌に癒されたはずだったのに、その彼女が、手も無くその虚栄に嬉々として興じているのは、彼にとって悪夢でしかない。
 今まさに上昇気流に乗っているアリーにはジャックのその孤独が伝わらない。その伝わらなさが、レディー・ガガが何度も歌う劇中歌“shallow”のアレンジの違いですごく説得力のある表現になっていて、やっばりレディー・ガガってすごいんだなと思った。こういう風に歌っちゃダメなんですって歌い方もちゃんとできる。
 バーブラ・ストライサンドが歌った『スター誕生』の主題歌“evergreen”もプラチナ・シングルになったが、『アリー/スター誕生』のサウンドトラックも、ビルボード初登場1位から3週連続首位だったそうだ。
 ジャックを苦しめているもうひとつのことは、故郷の喪失感。ロックスターは虚像でも、音楽は彼のルーツであり続けている。そういう部分にフォーカスした解釈が、今回のリメイクの意義である気がする。ジャックはアリーにルーツを見た。だからこそ、アイドル的な売れ方をしていくアリーに対して「自分が君を堕落させた」と告白する。
 だが、それが若いアリーには伝わらない。その辺のことを視覚化しているのは、アリーの髪の色の変化なのはいうまでもない。
 『スター誕生』ってタイトルの意味は、これは、オリジナル版の頃から変わらないコンセプトなのかもしれないが、スターと言われる存在には、ただ売れているとか、人気があるとか以上の何かが必要に違いなく、アリーの最後の歌唱シーンには、彼女がたしかにそれを手に入れた風格と、そして、孤独がにじむ。
 ジャックにとってもそうであったように、歌に乗せて聴衆に届けているものについて、聴衆自身が無自覚なのである。アリーはほとんどただひとりの聴衆を失った、その怖ろしく長い空白に、アリーはこれから耐え続けなければならない。聴衆の誰にも伝わらない、というより、伝わらないと彼女自身が思い続けるだろうその孤独を、彼女の歌は、宿命づけられてしまった。
 「我かつて罪なくて生きたりしが、掟来たりし時に我は死に、罪は生きたり」ってことですかね。
 ところで、蛇足ながら、もう一度念を押しておくけど、『音量を上げろタコ!なに歌ってんだか全然わかんねぇんだよ!!』は、今をときめく錚々たるミュージシャンが楽曲を提供した、日本版『スター誕生』だから、この『アリー/スター誕生』が気に入った方はぜひ観てくださいね。
 
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