サミーさんHP閉鎖

私がこのHPを立ち上げた頃からのお仲間で、遠赤外線OFFのゴッドファーザーでもある、サミーさんがHPを閉鎖されるとのこと。突然で驚いてしまった。取り残されていくようで寂しい。
私と違って、サミーさんには家族がいる。この夏もお子さんをつれて、新潟方面にいってらしたようだし、いつかはお父さんを連れて東京ドームに出かけられるし、パソコンは自作するし、サックスは吹くし、HPをやめられても日々の豊かさが損なわれることはないだろう。まぁ、そういう楽しみの片隅に、websiteを残しておいてくれてもよかったのにとは思う。でも、事情がおありのことだろう。
今年の遠赤オフが雨で流れて残念だった。「私はヒマだし、近いし、いつでもOK」といっていたものだが、その後、この異動の話が降って湧いて、急に慌ただしくなってしまった。予定ではtenkoさんのロシア出発の翌日。あの週で天気が崩れたのは土曜日だけ。ほんとに残念だった。この次、オフ会を企画する時も是非ともお声をかけたい。
今日からお休み。じゃあ、今日からツーリングに行けばいいのだけれど、その辺の切り替えがうまくない。やんやさんなんて東京で仕事を片づけてすぐに山形に飛んでいく。できる男なのだ。
小川洋子の『寡黙な死骸 みだらな弔い』を読んだ。
寡黙な死骸 みだらな弔い (中公文庫)
最近は、読書が最大の楽しみになっている。というか、習慣になっている。ボウリング大会の時、缶コーヒーの文字を読んでいるのに気が付いてハッとした。ものを読むことに逃避しようとしている。困ったもんだ。
文庫版のためのあとがきから

ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、自分が書こうとする書物は、既に誰かによって書かれているのだという、一見書き手にとって不自由と思われる想定を、実に魅力的な可能性へと飛躍させた。自分が過去に味わった読書体験のうち、最も幸福だったものは、ああ、今読んでいるこのお話は、遠い昔、顔も名前も知らない誰かが秘密の洞窟にきざみ付けておいたのを、ポール・オースターが、川端康成が、ガルシア・マルケスが、私に語って聞かせてくれているのだ、と感じる一瞬だった。

小説を書くとは、洞窟に言葉を刻むことではなく、洞窟に刻まれた文字を読むことではないか、と最近考える。・・・

ここに言及されている、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの小説って何かご存じの方いますでしょうか?
本筋とまったく関係ないことだが、『薬指の標本』にでてきたのと同じ、モチーフというかなんというか、ちょっとぞくっと来ることがある。『薬指の標本』では、足を引っかけられて、こぼしてしまった和文タイプの文字を朝まで拾い集める。今回は、カラー№508の付箋を№608に付け替える。この辺のマゾヒズムは微妙すぎる。サディストに同情してしまう。