アスキーと文春の二誌の週刊誌を購読している。文春のほうは小林信彦さんのコラム『本音を申せば』が目当て。今週の副題は「間違いだらけの昭和史」で、昨今ブームとなっている懐古される昭和と、実際の昭和とは微妙に違うという話。例えば「リンゴの歌」なんて別に流行ってなかった、とか。それに、戦時中に反戦的な庶民なんて存在しなかった。
日本では、時代の風を感じて、<先んじて動く>のは大衆であり、そそのかすのがマスコミである。
と、ちょっと断定的に書いている。
古くからのファンとしては、小泉純一郎人気が気に食わなくてこういうことを書くのであろうと、勝手に裏読みする。こういう半可通は始末におえないと、どこかで書いていた気がする。
それはともかく、ほんとに日本の大衆は「時代の風を感じて先んじて動く」のだろうか。ちょっと大衆を擬人化しすぎていないだろうか。大衆に人格が存在すると思うべきなのだろうか。
で、週刊アスキーのコラム、歌田明弘氏の『仮想報道』を思い出した。こちらの副題は「『みんなの意見は案外正しい』というのはほんとうか?」
この『みんなの・・・』は、金融のコラムニストが書いた本だそうだ。
- 作者: ジェームズ・スロウィッキー,小高尚子
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2006/01/31
- メディア: 単行本
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邦訳の帯には梅田望夫さんの話題の本『ウエブ進化論』の一節が引用されている。「『次の十年』は『群集の叡知』というスロウィッキー仮説をめぐってネット上での試行錯誤が活発に行われる時代と言っていい」。たしかにネットは「みんなの意見は案外正しい」かどうかの一大実験場と言える。
歌田氏は、スロウィッキーが「みんなの意見が案外正しい」例をいくつあげたとしても、それとは逆に「みんなの意見がとんでもなく間違っている」例も同じくらいあげられるだろうし、重要なのは、どういう条件であれば「みんなの意見が案外正しくなるか」だが、スロウィッキーのあげている「多様性、独立性、分散性の維持」は、インターネットの進化と共に逆に損なわれていく方向にあるのではないか、
というのは、インターネットの世界はどんどん狭くなっているからだ。
これについては、このごろ実感する人も多いのではないだろうか。インターネットは村社会になりつつある。
いずれにせよ、みんなの意見は「案外正しい」かどうかに過ぎず、「絶対正しい」わけでないのは誰でも知っている。だが、それでも気になるのは、「みんなの意見」の方が「正しい意見」よりはるかに恐ろしいからだ。つまり、「みんなの意見は案外正しい」という説は、希望的観測のひとつなのだ。
で、先の小林信彦さんのコラムだが、大衆が先んじて動いて、報道はそれに追随したなんていうのは、報道側の言い訳にしかならないのではないか。
「みんな」が複数の人間で成り立っている限り、「みんなの意見」はひとつではありえない。だから、「みんなの意見」は、本来正しいも間違いもなく、ただ多様であるだけなのだ。「みんなの意見」は、その言葉自体が嘘なのかもしれない。「みんなこう言っている」というやつは、大概うそつきでしょう?