モディリアーニとヴラマンク

knockeye2008-04-27

国立新美術館は、自前のコレクションを一切持たず、企画展示だけをする美術館である。つまり、画家たちには鐚一文払わず、建築業者に日銭を、役人には生涯の天下り先を。設立の主な目的はそこだろう。
交通の便はいい。乃木坂駅の改札から直接入れるようになっている。
朝九時過ぎに着いたが、九時半にならないと門も開かないし、五十分にならないとチケットも買えない。前売りを買っておけばよかった。絶対行くつもりだったけれど、もしいけなかったら損だという気持ちで、結局当日券になってしまう。
長蛇の列とまでいかないけれど、行列が出来ていた。モディリアーニは人気がある。こういう場合は、入場してすぐに、人が絶えるあたりまで進んで、そこから見始めるとよい。若書きの作品や習作は、後から見て回ればよい。
特に目玉となるような作品はないものの、マリー・ローランサン、画商レオポルト・ズボロフスキ、ジャンヌ・エビュテルヌなど、肖像画にいいものが多かった。
『肩をあらわにしたジャンヌ・エピュテルヌ』や『大きな帽子をかぶったジャンヌ・エピュテルヌ』は、他の展覧会なら目玉と言えるかもしれない。秀作が多いと言い換えるべきかも。だから、私が暗に言いたいことはこうかもしれない。裸婦が少ないよ、と。
彫刻家を志していたころのデッサン「カリアティッド」が大量に展示されていた。このときの修行が後の人物像の、ときに「猥褻」とまで言われた生々しさに生きているのがよく分かる。本当は立体化したかったのだろう。カリアティッドとは、古代ギリシャ神殿の梁を、柱として支える女性像のこと。彼は女性像の神殿を作りたかったのである。
計画通り、次は、新宿の損保ジャパン東郷青児美術館ヴラマンクを見に行った。
新宿駅では迷うことが多いので、備忘のために書いておこう。西口A−18の出口である。
ここに住む前にも何度か来たことがあるが、そのときはあまり迷わなかった。起点が遠すぎるので迷った自覚がないのかもしれないが、降り立つホームがいつも同じなのが大きいのではなかったか。今は、小田急だったり、JRだったり、地下鉄だったりするのがややこしいのだと思う。
お昼のあとに訪ねたにもかかわらず、割合にすいていた。国立新美術館から地下鉄で190円しかかからないので、モデイリアーニの後は、立ち寄って見られることをお勧めしたい。没後50年展である。日本で何度ヴラマンクの展覧会が開かれたか知らないが、私は初めてであった。
ヴラマンクの言葉が紹介されていた。
「・・・私のコバルトとヴァーミリオンで国立美術学校を焼き尽くしてしまいたいと考えていた。私より以前に描かれた一切の絵画によらず、私自身の感覚を表現したかったのだ・・・」
佐伯祐三が自作の絵を見てもらったとき「このアカデミック!」「誰がこんな絵を見たいといった!」と痛罵したエピソードはよく知られている。なんとなく日本人好みなのだろう。子路孔子を訪ねるとか、慧可が達磨を訪ねるとか、そういう逸話の系譜にならべてしまう。しかし、この出会いは美術ファンにとっては幸運であった。それから、佐伯祐三の苦行が始まったのである。
ヴラマンクの画業は大きく3つの時期に分類されるそうである。
フォービズムの時代、セザンヌに影響をうけた構成主義的な時代、そして、これは誰が見てもヴラマンクでしかない、あの大胆な筆致の時代に到達する。「雷雨の日の収穫」という絵があるが、アカデミーを焼き尽くしたコバルトとヴァーミリオンが、まさに燃えている。
大胆な筆致は、既成のテクニックによらず自分の感覚から表現を作り出そうとする努力の結果なのだと思う。たとえば「パンと鍋のある静物」「パンと壷」という二枚の絵があるが、画家はフランスパンの切り口を描きたかったのだろう。そして、それは成功しているように見える。もし、いわゆるヴラマンク風の筆致をなぞるだけではこれは描けない。対象に向き合うことを常に自分に課してきたのだろう。だからどの絵もみずみずしい。
ちなみに東郷青児美術館からは東京が一望できる。いつもカメラを下の階のロッカーに入れて写真を撮らずにしまうので、今日は上まで持って上がった。となりにまた新しいビルが建ちつつありますね。