アンドリュー・ワイエス、恋愛上手になるために、池口史子

knockeye2008-11-09

寒い一日だった。
朝出かけるときに「少し寒めかな」くらいの服装だったのだけれど、体感温度はそのときのほうが高かったくらいで、一日中気温が下がり続けたかのようだった。しかも昼過ぎにはこまかな雨も降り始めた。
この週末は渋谷コース。思い返してみると私にとっての渋谷は、駅から文化村までの往復に過ぎない。多分あの町には他にも何かあるんだろう。知らないままで終わるだろうな。
文化村の美術館で「アンドリュー・ワイエス展」。
アンドリュー・ワイエスは今年91歳になるが、かくしゃくとして絵を描き続けている。この展覧会に向けてのインタビューがビデオで流されていた。インタビュアーの美人は孫娘だった。
素描、水彩、ドライブラシ、テンペラ、ひとつの絵の成立過程をスケッチや習作から展示していた。
ポスターになっている「火打石」の習作ではかもめが停まっている。
決定稿では消されてしまうのだけれど、習作の段階にはまだ残っているさまざまなものを見るのも、なまなましくて興味深い。同じ曲のライブ盤を聴いている感じ。
総じて完成品は習作よりいろいろなものが削り落とされている。水彩画には大胆に余白を残したものもある。日本の水墨画の感性に近いと思って不思議な気がした。
緻密に書き込まれたテンペラ画がなんといってもこの画家の特長ではないだろうか。ただ、その完成に至るまでに多くの要素が削られている。そこがフォトリアリズムとの違いだろうか。
アメリカらしい絵というと、私はフォトリアリズムを思ってしまう。なぜだろうか。
アメリカの画家は、個性とかオリジナリティーということに不信を抱いているという気がするのだ。
キャンベルの缶をならべたり、アメコミの一部を切り取ったりする裏にはそういう心理が働いていないだろうか。
「できることなら私は自分の存在を消してしまって絵を描きたい。---あるのは私の手だけ、という具合に。」
という、画家の言葉が紹介されていた。しかしその手のオリジナリティーはいうまでもない。画家自身もそこを否定するつもりはないだろう。芸術家と自意識、あるいは、表現と自意識は、けっこう心に引っかかる問題ではある。
更にいえば、自意識と自己の問題。自意識が自己を閉じ込めてしまうのではないか。
渋谷コースといったのは、文化村を出て郵便局の角を曲がった映画館も含む。
渋谷シアターTSUTAYAで「恋愛上手になるために」。
原題は「the Good Night」。私の感想としては、この邦題は間違っている。よくこなれた脚本で、私は鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」を思い出したりした。
舞台はNY。だったのだけれど、途中まで「もしかしたらロンドンかなぁ」と思っていた。主人公の設定が、かつて人気のあったバンドのキーボードプレーヤーで、7年前に解散した後は雌伏、CMの作曲をしている。
ロンドンが舞台でも違和感のない設定だし、それに主人公の英語がイギリス英語に聞こえた。そういうことを言う資格はもちろん私にはないのだけれど、あとで調べると、主人公を演じたマーティン・フリードマンも、元のバンドの仲間、ポールを演じたサイモン・ペグもイギリス人だった。それに、主人公の周辺の人たちのインタビューが挿入される感じとか、少なくともハリウッドとは感じが違ったし。
で、車がライトトラフィックかレフトトラフィックか気にしていたのだけれど、ちょっと分からなかった。パンフレットによるとNYでは1週間、イギリスで6週間撮影したそうだ。でも、これがNYっぽい味わいというものなのかもしれない。
グィネス・パルトロウ演じる画廊に勤める女性とバンドを辞めたころから同棲している主人公だが、どうやら倦怠期を迎えている。そんな彼の夢の中に見知らぬ女性が現れるようになり、次第に彼女に心を奪われていく主人公は、夢をコントロールしようと試みるが・・・というお話。
だから、原題の「the Good Night」は、実に正しい。それは、ラストシーンに効いて来る。邦題はいただけませんね。
舞台がロンドンかなと思ったもうひとつの理由は、音楽の使われ方。主人公が、かつては人気のあったバンドのコンポーザーだったことを考えると、結末は切ない。「グッドナイト」と声をかけてやりたくなった。あの夢の女は誰だったのか。
2007年のサンダンス映画祭に出品されたそうだ。ロバート・レッドフォードが始めた、この映画祭は、良心的なインディペンデント映画をサポートするよいイベントになっていると思う。
この映画の監督、ジェイク・パルトロウは名前から推測できるとおり、グィネス・パルトロウの弟だそうだ。このファミリーネームは、何度聞いてもしばらくすると、パルトロウかパトルロウか分からなくなってしまう。一度聞いたら忘れない名前なんだけれど、ただ「ル」と「ト」がこんがらがってしまうの。パルトロウね。
アンドリュー・ワイエスを観たあと、映画の上映までしばらく時間があったので、松涛美術館。ここも私の渋谷コースの一部だ。
池口史子という画家。女性像がいい。
無人の街を描いた風景画が多いのだけれど、この無人の風景の中にいつもこれらの女性像を追い求めていたのではないかと思えるくらいに女性像が魅力的。ぶっちゃけた話、知的でセクシーでもろに私のタイプである。
実は、この女流画家は潜在的な同性愛者で、中年に海外に出て始めてそれに目覚めた、というような勝手なサイドストーリーを思い描いてみたくなる。
もちろんこれは、カーペンターズが実は近親相姦の関係であった、みたいな下世話な想像だけれど、そういう想像が刺激されるほど、魅力的ということ。実際の画家は堺屋太一の奥さんである。
どこかで聞いたことがある名前かなと思ったら、第27回損保ジャパン東郷青児美術館大賞を受賞しているそうだ。そのときに記念展があったはずで、行こうと思いつつスルーしてしまったのだと思う。