『ユルスナールの靴』再読

この2日から今日まで、足掛け3日にすぎない短い帰省をすませてきた。
往き還りとも新幹線の自由席だったが、立っている乗客は見なかった。
JRは、高速道の無料化に、「競合」という言葉を使っていたが、あちらは、自分のクルマに自分のカネでアブラを入れ自分が運転する。それと「競合」するという感覚には苦笑してしまう。
帰省の新幹線は読書することに決めているが、今回は先日も書いた須賀敦子の『ユルスナールの靴』を再読した。
サマセット・モームのように主義にしているわけではなく、そういうタチというだけだが、私はたいてい一度読んだ本は二度読まない。『サザエさん』の長谷川町子は、同じ本を何度も何度も読む人だったそうで、気に入った文章を書き出して書棚の扉に貼りだしたりしていたそうだ。私にはムリ、性格的に。
ただ、この須賀敦子の『ユルスナールの靴』を読んで、そういう読み方に耐える本があるとしたら、こういう本なのだろうなと思った。おそらく何年かあとに引っ張り出して読んだら、また新しい発見があるだろうと予感させる、なにかがかくれている感じの奥行きがある。

 二七年、ユルスナールは、そのころ調べていたフローベールの書簡集にこんな文章を見つけて深く感動する。
「神々はもはやなく、キリストは未だ出現せず、人間がひとりで立っていた、またとない時間が、キケロからマルクス・アウレリウスまで、存在した」
 これを読んで彼女は考える。その時代には人間が「ひとりで立っていたから、すべてに繋がっていた」と。

「皇帝のあとを追って」からの引用。

こんな人たちの苦悩を経て、現代科学は生まれたのだ。ホールの暗闇で私は肩をこわばらせていた。それなのに、私たちは無知に明け暮れ、まるですべてを自分たちが発明したような顔をして、新幹線に乗ったり、やれコンピュータだ宇宙だといばっている。

これは「死んだ子供の肖像」の一節で、「こんな人たち」は、このまえにもふれたジョルダーノ・ブルーノのように科学的な説を唱えたことで、教会から迫害され異端として処刑された人たちのことを指している。
むかしの教会による処刑は吐き気を催させるものが多く、ジョルダーノ・ブルーノの場合ではないが、私が学生時代に聞いた話で今でも記憶に残っているのは、囚人をまず熱湯につけて皮膚を糜爛させた後、生きたまま肉を貝殻でこそぎ落としていくというものがあった。
こういう刑はみせしめの意味が大きいのだけれど、みせしめのためにこれだけの独創的な刑罰を考案する強い憎悪は、どこからくるのだろうか。
正統の異端に対する、強者の弱者に対する憎悪。
それは、わが国では、中世では隠れキリシタン浄土真宗門徒にたいするものであるだろうし、近代になってからは、アイヌや韓国や中国の人たちに向けられたものであるだろう。
ニュートンキリスト教の異端の宗派を信奉していたことは有名である。近代科学だけでなく、たぶん近代そのものが、こういた異端から生まれたのだと思っている。
異端は、宗教の否定ではなく、むしろ、真摯すぎる求道の帰結なのだから、小林秀雄の世代が「近代の超克」などといったとき、加藤周一の世代に批判されるのは当然だったと思う。
明治以降の日本が、西欧近代のうわずみをすくっていたに過ぎないことはほぼ間違いないと思う。和洋折衷などというと、背景に思想でもありそうだが、実際は、西洋近代のおいしいところだけ真似して、自分たちの文化は人目につかないところに隠しておいたにすぎない。自己とは何か、世界とは何かと、一度も自分に問いかけてみたことのない心に教養が存在するはずがない。
キリスト教徒が、文字通り身を削って、自分たちの文化の根幹にまで切り込みながら手に入れてきた科学的な態度を、自分たちの文化とまともに向き合おうともしていない日本人が「超克」なんていうのはあまりにも生半可すぎる。
以前引用した、橋本治浅田彰小林秀雄についての対談を読んでもらえれば分かるが、小林秀雄は結局正統を擁護しているにすぎない。
小林秀雄が西洋と東洋のはざまで苦悩したとは私にはみえない。日本は彼の時代には、すでにあたり一面、西洋近代のうわずみでいっぱいだっただろう。

求道がないところに異端がないのは当然かもしれないが、精神の働きのないところにも異端は育ちえないという事実を、私たちはあまりにもなおざりにしてきたのではなかったか

再読して、先日も引用したこの文章が()に閉じられていたのに気がついた。『ユルスナールの靴』が刊行されたのは1996年。この()を見た時、ここに綴られた言葉は誰に向けられるるあてもなく、瓶に詰められそっと流されたかのように思えた。