『金沢 酒宴』

午前に日に干しておいた寝具を部屋に取り込む。しばらくすると日差しの匂いが部屋に漂う。快晴続きの静かな週末で、あえて渋滞の中に出かけていく気が起きず、すべての計画を先送りして、居眠り暮らした。
『金沢 酒宴』 吉田健一
金沢・酒宴 (講談社文芸文庫)
そういう日にまさにふさわしい読書。この本は、同じ著者の『旨いものはうまい』がすごくよかったので、あの後すぐ買ったのだけれど、意に反して随筆じゃなく小説だと分かったため、しばらく未読になっていたものだ。
旨いものはうまい (グルメ文庫)
ところが、倉橋由美子が『偏愛文学館』という書評集で『金沢』を激賞していると知って、やはりこれは読んでみなければなるまい、となったわけ。
偏愛文学館??
必ずしも長くない作品にそんな一大決心が必要なのもおかしなものだが、その文章がなかなかのくせ者で、おそろしく「、」が少ないの。『旨いもの・・・』も必ずしも分かりやすい文章ではなかったが、こちらは小説である分、さらにややこしい。しかし、第一章をなんとか読み切ってしまえば、後は入っていける。それに私は、紅を底に沈めた翡翠色の器の第一章がかなり好きである。
この小説の主役は、町、家、庭、骨董、酒、そして旨いもので、そういうことを書かせたら吉田健一の右に出る物はいないだろう。酒の飲み方は中島らもも遠く及ばない。この文章も出だしから最後までずっと酔っぱらってると思えば納得もできる。

酒を通してみる瀬戸ものの地というのは不思議な働きをして釉薬が酒に濡れるのと酒が視線を遮るので色が鮮やかにもぼかされた感じにもなり、それが目に止まった瞬間には乾いている時に考えられない光沢を帯びる。殊に藍が酒で引き立つ。そして引き立てているのは酒で内山は飲みながら又山を見た。

こんな感じ。これは、岩魚の骨酒を九谷の器に注いで飲むところ。私は酒を飲まないが飲む人には目の毒かも知れない。

こうして犀川沿いの崖の途中にいると逆に東京を離れて金沢で過ごす一日が十年にも一生にも思えた。(略)人間が何代にも亘って手間を掛けた犀川のような自然には時の過ごし方でなくて時が正確に過ぎて行くことを教えてくれるものがあった。

この作品は1973年のものなので、いまの金沢がこの通りでないことはむしろ当然だろう。北陸に8年も過ごしながら、ついに金沢の町歩きひとつしなかったことはまったく残念だ。私の住んでいた魚津からはバイパスでちょうど100kmだったけれど。何しろ市内の渋滞がひどいので。