片岡コレクションの浮世絵 芦屋市立美術館博物館

 芦屋市立美術館博物館で、片岡コレクションの浮世絵が約100点ほど展示されている。2026.2.8まで。
 大正時代にヨーロッパで買い集めたコレクションで、それ以来あまり鑑賞されなかったと見えて褪色が少ない。
 歌川国貞、歌川国芳、渓斎英泉、菊川英山など。なかでも国貞のコレクションは見応えがあった。もちろん静嘉堂文庫美術館のコレクションってわけにはいかない。
 国貞は長生きした上に多作だったせいもあり、玉石混淆のきらいはある。これは永井荷風も『江戸藝術論』に書いている。
「国貞は天明六年に生れ元治元年七十九歳を以て歿したればその長寿とその制作の夥しきは正に葛飾北斎と頡頏し得べし。然れどもその制作中の最も佳良なるものは悉く豊国の名を継がざりし以前にして、殊に文化時代の初期の作には時として先師豊国に匹敵すべきものなきにあらず。」
 この永井荷風の言うことはこの展覧会を見てるだけでも分かる。国貞の絵をまとめた展覧会を見ずに、浮世絵の展覧会でたまたま国貞の絵を見かける程度だった時は「?」と思っていた。
 豊国の名を継いだ経緯はスキャンダラスながら、当時、当代きっての人気絵師だったはずなのに「?」って感じ。
「五渡亭国貞は『歌川を疑はしくも名乗り得て二世の豊国贋の豊国』の落首に諷刺せられしといへどもとにかく歌川派の画系をつぎ柳島と亀井戸とに邸宅を有せしほどなれば、当時の地位は国芳の上にありしや明かなり。(『安政見聞録』中亀井戸辺震災の状を描ける図に歌川豊国が倉付の立派なる邸宅を見せたるものあり。)然れども画家としての手腕は余の見る処国芳はしばしば国貞に優れり。」
永井荷風も書いている。
 ともかく「国貞」のサインのある絵の方が比較的によい。「二世豊国」のサインのものにも良いものがないとまでいえない、くらいの。これだけはっきりしてるのも珍しいかも。はっきり言ってやる気がなくなったんでしょう。
 こういうこと書いて観る気を失くされると困るが、国貞時代のものは確かによい。加えて、春画を排さずに集めると人気のほどがわかると思う。女が好きだったんだろうと思う。
 だけどデッサンの確かさって意味では、やっぱり喜多川歌麿には敵わないと思う。モデルが1人の場合はまだしも2人以上になると途端に腕の差が出る。歌麿の絵には生き生きした日常の一場面が捉えられているが、国貞の場合は歌舞伎舞台のように横並びになっているだけってものが多い。
 これはそうしか書けなかったのかもしれないが、それよりも国貞のセンス自体がそう見せたい、そう見せることを望んでいるように見える。

五節句 文月
五節句 文月

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 こういう風が華やかだという気持ちはわかる。しかし日常を描いているとはいえない。国貞自身のセンスなのか、それともこうあることを望まれていたのか、確かに永井荷風の言うように、こういう面でも「画家としての手腕は余の見る処国芳はしばしば国貞に優れり。」と思う。

今世時計十二時の内 巳の刻
今世時計十二時の内 巳の刻

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吉原時計 子の刻 ひけ九つ
吉原時計 子の刻 ひけ九つ


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 今のところ私が感じる国貞の魅力は江戸時代のアイドルグラビアみたいな感じ。これが江戸時代の浮世絵の王道だったのは実のところ当然で、当時のふつうの人たちが見える気がする。

 今年の大河ドラマだった歌麿が去ったあと、歌麿ロスを埋めたのは菊川英山だったそうだ。菊川英山の絵を集めた展覧会も見たことがあるが、そんなに上手いとは思わなかった。でも、今回展示されてるものはその時より良いと思えた。

夏風俗美人姿
夏風俗美人姿

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 でも、左腕が少しおかしい。こういうことは歌麿はない。結局、歌麿はすごい。

 菊川英山は弟子の渓斎英泉に人気で抜かれていってしまう。

辰巳八契 富岡の晩鐘
辰巳八契 富岡の晩鐘


 それがこういう女性像。
 しゃくれたあごにつり目。これはさすがにデフォルメだろう。こんな人が実際にはいないだろうが、歌麿のあと人気を博したのがこういう絵っていうのが実に興味深い。
 辰巳っていうのは江戸からみて辰巳の方角、深川のあたり。このあたりの芸者を深川芸者、辰巳芸者といって、芸は売っても体は売らないっていう気風のいいおねえさんのイメージはこの辰巳芸者たちを源流とするそうだ。
 そのイメージがこの渓斎英泉のイメージと重なってるのが不思議じゃないですか?。こんな顔の人がいないように、そんなに気風のいいおねえさんはいなかったのか?。そんなことはないと思う。でも、こんなイメージを自負として彼らが胸に抱いていたって思うとイメージの重要さを考えてしまう。
 
 一方で、歌川国芳の女となるとこうなる。

歌川国芳《名酒揃 志ら玉》

いかにも江戸っ子ごのみの、いわゆる「かたぶとり」。この感じの女性、江戸っ子の好みに合わせたのかもしれないが、これを見ていると歌川国芳はこの感じが好きだったんだろうなと思わされる。おいしそうな白玉とおなじくらいこの女性もおいしそうに見える。