『明るい旅情』

中尊寺

社員旅行でへろへろである。阪神タイガーズのようにへろへろだ。夜勤明けで中尊寺往復、そして月曜は早出。目的はよく分からんが、とにかく仕事の一部だと思わないといける距離ではない。私のバハなら絶対行かない。
おまけに大雨。浄土ヶ浜遊覧船は、へたすりゃ遭難するぞと思ったので、唯一の生存者になるべく辞退した。
例によって私は飲めないので、「飲めないよ」ということを証明するためにビール一杯飲んで「ほらね」という感じで部屋に引っ込む。ところが、夜は飲んだ連中のいびきで寝られない。テントの方がよほど安眠できる。
旅らしかったのはむしろ早朝の東京駅か?何しろ夜勤明けなので、くそ早い時間に着いて暇をつぶしていた。
一応、本も持っていった。池澤夏樹の『明るい旅情』という紀行文集。はじめて池澤夏樹を読むに当たってこれがよかったのかどうか分からないが、なかなか簡単に消化し尽くされない相手だと思えた。
明るい旅情 (新潮文庫)
私はこの人を週刊文春の書評欄で知った。推す本がどれも面白いので、本人のもちょっと読んでみようか思ったわけ。
時を隔ててはいるが、金子光晴と同じくこの人も元は詩人で、しかも若い頃は世界のあちこちを旅したらしい。そういうわけでこの紀行文集もなかなかふところが深い。それに面白いのは、紀行文そのものにも造詣が深く「イギリスを出た人々」と「現代イギリス旅行文学撰」では、またまた読みたくなる本をずらっと並べられてしまった。
確かに、人はなぜ旅をするのみならず、その旅を文章に書くのかというのは、興味深い問いかけかも知れない。つまり、私らに引き寄せて考えると、ツーリングに行くだけでなく、ツーレポをまとめるのはなぜか。
それに今や旅の多くは紀行文にインスパイヤされていないだろうか?私のロシアツーリングを考えてみると、最初のはガルルの記事に刺激されたのだし、二回目はマーク・ジエンキンスの『大シベリア横断記』ISBN:4883021084てあった。だからこそ、「いっそロカ岬まで行きましょうよ」というびわこナマズさんの誘いに乗らずひたすらサンクトペテルブルグへ走った訳だった。
他の人の旅もきっとそうなのではないだろうか?なにか心に残る紀行文に刺激されて旅を続けている部分があるのではないか?そう考えていくと、紀行文が先か、旅が先かという問題は意外に易しくないかも知れない。ずーっとたどっていくと最初に旅があるのか、紀行文があるのか?案外、変なものにぶつかるかもよ。