おくりびと

knockeye2009-02-24

2008年は日本映画の当たり年だった。
でなければ昨日アカデミー外国語映画賞を受賞した「おくりびと」も観にいっていたかもしれない。しかし、なんとなく食指が動かなかったのは、内容も画面も役者もひどく地味ですよね。日本のアカデミー賞を席巻したのも少し意外だったくらい。
小林信彦に言わせれば、アカデミー賞は狭い社会のお祭りにすぎないのだそうだ。そういうようなことを書いていた。
日本映画の場合、社団法人日本映画製作者連盟が推薦した映画が、本家のアカデミーにノミネートされる仕組み。アメリカアカデミー協会が外国の映画すべてを精査するわけではない、もちろん。
「Shall We ダンス?」は外国語映画として「イルポスティーノ」以来の大ヒットだったが、その○○社団法人の推薦がなかったために、受賞のチャンスすら得られなかった。そのあたりの経緯は、周防正行の著書『Shall We ダンス?アメリカを行く』参照。
それはともかく、私が意外だったのは「スラムドッグ$ミリオネア」の受賞の方。
どこかの映画館で予告編を見た。いい映画くさかったので観にいくつもりだったけれど、まさかアカデミー賞とか、そういう作品とは。渋谷で単館上映されるくらいの印象だった。そもそもアメリカ映画なの?
公式サイトで公開予定の劇場を確かめようとしたら、「coming soon」になっている。オスカーを8つも独占してしまってはね。
アカデミー賞がハリウッドの村祭だとしても、今回の受賞傾向にはなんとなくアメリカを包んでいる空気みたいなものを感じる。
スラムドッグ$ミリオネア」の主役は無名のアジア系の少年なのである。勘ぐりすぎだろうか。
パンドラの箱の底に残っていた希望を手に立ち上がろうとしているアメリカ。
実は、例の文芸春秋3月号にはオバマ大統領の就任演説が全文掲載されている。それに対談を寄せている手島龍一とジェラルド・カーティスは、平明な言葉で国民に語りかけるオバマルーズヴェルトになぞらえている。

手島:オバマは「ニューディール政策は、草の根の人々が大恐慌に抱く怖れを取り除いた」と、正確に表現しています。「ニューディール政策によって恐慌を脱した」とは言っていない。
(略)
カーティス:ルーズヴェルトがラジオを通して恐慌下のアメリカ人に希望を持たせたのはすごいことです。 (ルーズヴェルトがラジオで行なった「炉辺談話」) ルーズヴェルトは原稿を、ラジオの向こうにいる八百屋さんや大工さん、主婦の人たちの顔を想像しながら分かりやすく書いたそうです。

アメリカ人にとってオバマは何よりもまず希望であり、そして、何よりもまず希望を選択したということがアメリカらしいと私は思う。
国民に向けて語りかける言葉を持っている政治家と、自分たちが何を選択したかというメッセージを発信できる国民がアメリカにはいる。
最近、「アメリカ型市場原理主義」だのなんだのという批判をよく耳にするが、そんなものがこの国にあるのかどうか、それ自体があやしいものだと私は思っている。
日本を支配しているのは、旧態依然とした官僚主義にすぎないではないか。
麻生太郎が何か一言でも国民に語りかけただろうか。彼は密室での談合ですべてを取り決め、郵政選挙で国民が付託した300という議席を、官僚の都合のよいように改革の骨抜きに使っている。
彼が行なっていることは裏切りであり、語っている言葉はごまかしである。「ぶれている」とかそんなレベルではない。思い出してほしい。彼が国民に語りかけた言葉といえば「しもじものみなさん・・・」なのだ。
そして、どういうわけかそんな政治家を一生懸命支持している国民がまだ10パーセントもいる。自分の心に偽りを語り、子どもたちにごまかしの未来を押し付けるそんな大人だろう。
録画しておいたNHKスペシャルを見た。伊藤和也さんの特集。ペシャワール会中村哲医師はひとり現地に残り用水路の完成を急いでいる。伊藤さんの墓は現地の農場にあるそうだ。