虎と月

虎と月 (ミステリーYA!)

虎と月 (ミステリーYA!)

中島敦の「山月記」の後日譚。作家は「ジョーカーゲーム」の柳広司
中島敦の鬱屈とした感じは消え、青春小説といった味わいになっている。
というか、「山月記」のあの鬱屈とした感じを意識してこそ、ライトノベル調の軽い書き方にしたのだろう。作者は、若いころから「山月記」が好きで、何度もノートに書き写し、ついには暗誦できるほどであったそうだ。
人が虎になるという事件の、推理小説的な解決編と読むこともできる。
ジョーカーゲーム」はしばらく品切れになっていたが、重版したらしいので今度読むつもり。
何度も書いているとおり、私が週刊文春を購読するのは、小林信彦のエッセーを読むためである。
今週号は
「占領期の朝日新聞と戦争責任 村山長挙と緒形竹虎」(今西光男・朝日選書)
にふれている。
私としては、あまり読みたいと思える本ではなさそうだ。
ちょっと引用する。自分の文章より小林信彦の文章をタッチタイプする方が気持ちよいのだ。

 敗戦のときの大新聞社の内情を書いた本はめったになくて、マーク・ゲインの「ニッポン日記」その他から探るしかなかったのが、これは社内にいた今西氏が豊富な内部資料を使って描いた<占領期の社内>と<戦争責任>問題である。

 朝日新聞そのものはリアルタイムで読んでいたから、(敗戦後、新聞は虚偽の報道で読者=国民をダマしたことを、なぜあやまらなかつたのか?)という疑問がわだかまっていた。

 三日がかりでこれを読んで、謎は半分解けたし、その他、いろいろなことがわかった。

 俗な発見を書けば、<一億総懺悔>というナンセンスな表現を最初に使ったのが緒方竹虎(敗戦の二年前までの朝日新聞社主筆)だったという事実だ。そこから始まるゴタゴタが、六十四年後の今日、民主党、特に小沢一郎バッシングにまでつながっているのである。二〇〇九年春に、社説が政権与党側に立ったことは、今後、大新聞不信の証拠として長く残るに違いない。

「一億総懺悔」という言葉は、東久邇宮とか近衛文麿とかそのへんが最初に使ったものかと思っていたが、そうなると、マスコミと為政者が口裏を合わせていたらしい。
自分たちの責任はうやむやにして
「ほらほらみな謝らんかい。皆さん怒ってはるやろ」
みたいなことで、史上に希な卑しいことばだと思う。