『トリエステの坂道』

knockeye2012-06-06

トリエステの坂道 (新潮文庫)

トリエステの坂道 (新潮文庫)

 須賀敦子の『トリエステの坂道』読了。
 この本は、本屋の棚にならべようとすれば、エッセーなんだろうけれど、『ユルスナールの靴』がそうであったように、これも一筋縄ではいかない。
 須賀敦子の本が深いという感じは、水深が深いという感じに似ている。遠浅の浜辺で波とたわむれているつもりでいると、あるところで突然深くなる。深いというより、底が知れない感じで、実は底がないのかもしれない。
 この新潮文庫版に湯川豊が併録した「古いハスのタネ」という文章を読むと、須賀敦子がこうしたエッセーの舞台裏でどういう作業をしているのかということがかいま見られる。
 私たちが、簡単に飛び越えたつもりになっている谷の深さを、須賀敦子は精緻に測量しようとしている。
 ずっと前に書いたチェーホフの言葉(それは、チェーホフの翻訳者として知られている神西清が紹介していたものだったが)を、思い出していただくと嬉しいのだけれど、それはこうだった。

「神あり」と「神なし」との間には、非常に広大な原野が横たわっている。まことの智者は、大きな困難に堪えてそれを踏破する・・・

 このブログには書いていないけれど、『文学全集を立ち上げる』という、丸谷才一三浦雅士鹿島茂の座談集も読んだ。

文学全集を立ちあげる (文春文庫)

文学全集を立ちあげる (文春文庫)

 面白かったのだけれど、これらの博識衒学の先達に尋ねてみたいひとつのことは、以下のインタビューに

 三浦雅士さん、鹿島茂さんとの鼎談(ていだん)『文学全集を立ちあげる』(文芸春秋)では、従来の文学観を斬(き)って捨てた。とくに、自然主義的な私小説嫌いは徹底している。

 「あれは、宗教的な告白と文学をごっちゃにする態度だった。でも、この10年ぐらいで誰もさわがなくなったでしょう。文学的に趣味がよくなったから」

とあるが、私自身確かに、私小説のキッツイやつ、自意識の袋を頭からかぶって窒息しそうなのは、ちょっと勘弁してほしいなと思うのだが、それでもわずかに残るわだかまりとして、はたして宗教的な告白と文学は、そんなにはっきりと違うと言えるか、ということなのである。
 明治以降のキリスト教かぶれ、それは、やがて共産主義気取りと、国粋主義気取りに分化していくわけだが、それはたしかにうんざりする。日常、聖書を手放さなかった正宗白鳥が、一方で、死の間際まで‘棄教’を装わなければならなかったこともそれと無関係ではないと思うが、明治の開国から、東洋の文化国として世界史に登場する代償として、西洋文化の大津波に見舞われた私たちの父祖たちが、そのとき、宗教的な何かを必要としなかったとはとても思えない。
 もちろん、だからといって、自然主義文学やあまたの私小説が優れていることにはならないが、正宗白鳥は、‘後から思えば、島崎藤村のものに一番打たれる’みたいなことをいっていたと思う。
 須賀敦子に感じる水深の深さは、第二次大戦を10代で経験し、戦後すぐに、フランス、イタリアに留学し、彼の地で結婚し、異文化の間を学問としてだけでなく、生活者としても往き来しなければならなかったときに、彼女自身が体感したに違いない、その底知れない溝の深さにあるのではないか。すでに世の中にある既成の形式としての小説の形にはとうてい納まらないか、あるいは、納めようとすると、もっとも伝えたいことがこぼれていってしまう、その底知れない深みを彼女のエッセーは何とか伝えようとしている。
 須賀敦子のエッセーの、エッセーという形を取りながら、たんにエッセーとはいいきれない、それこそ汲めど尽きせぬ底知れぬ味わいは、そこにあるだろうと思う。