ギリシャに続き、イタリアの国債が急落し、かねてからささやかれていた負の連鎖が現実になり始めたかのようだ。
‘アテネからローマへ’、この二つの地名が持っているインパクトはバカにできない。あたかも、西洋文明そのものが、根っこから腐り始めているような印象さえ抱かせる。特に、ギリシャの官僚たちの身勝手な主張や、ベルルスコーニ伊首相のスキャンダルは、この二つの国の伝統に照らせば、必ずしも意外ではないだけに、そういう場合の例に漏れず、かの国々のイメージを上書き保存させる。
ギリシャ、イタリアの、その次か、次の次あたりに名前があがっている国のおうわさが、経済誌「エコノミスト」にあったと、今週の週刊文春に町山智浩が書いていた。
経済誌「エコノミスト」は、とある国を「ゾンビ」と呼んだ。その国の管理職に女性が占める割合はたった8%(中国は20%)で、若者の57%が終身雇用を求め、起業を目指す者は14%にすぎない。とっくに死んでいる20世紀の経済モデルから脱却できない国、それは日本である。
面白かったので、ネットで検索してみたら、はてなダイアリーの、
http://d.hatena.ne.jp/shota_newcastle/20110226
こういう記事にでくわした。これは、でも、2月の記事なので、町山智浩が言及している記事がこれなのかどうかは分からないけれど、これはこれで面白い。
同じ人のこの
http://d.hatena.ne.jp/shota_newcastle/20110410
日の記事には、柳井正と大前研一の本の要点が簡潔にまとめられていている。読む手間が省けた。
町山智浩の記事にあった、オーストラリアの経済学者、ジョン・クイギンの『ゾンビ経済学』についても検索してみたところ、
こういうサイトがあった。
ただ、これは、さきほどの‘アテネからローマ’と同じように‘ゾンビ’のイメージ喚起力に負うところ大で、現実の提言の段になると、ゾンビほどは訴求力に欠けるか。
ゾンビは、もともとヴードゥーの呪術で労働力として使役させられる死者たちのことで、黒人奴隷たちの自己投影だったろうと、町山智浩は書いている。そういえば、「occupy wall st.」のデモの主張の不明瞭さは、どこかゾンビを彷彿させる。
日本人は、唐に倣った奈良時代から、アメリカに追従したつい最近まで、ずっと海外にモデルを求めてきたが、どうもバブル崩壊以降は、日本が世界の先頭に立ってしまっている観があり、現在の状況に対する処方は、モノマネではしのげないように思う。
バブルといえば、オリンパスの損失隠しはバブル時代から続いていたそうで、変な話、なんかなつかしい気さえしてしまった。バブル時代から損失を隠し続けてきた企業!まさに‘ゾンビ’。
ときどき、無断で引用する加藤祐子の「ニュースな英語」‘英語メディアが伝える「JAPAN」なニュースをご紹介するこのコラム’が、いきおい、この話題になるのは、この問題を指摘したことで社長の座を追われたマイケル・ウッドフォードがイギリス人なのだから、イギリスのメディアの鼻息は荒くなるか、少なくとも鼻は高くなっても当然で、そういうことを英語で‘vindication’というのだそうだ。
『デイリー・メール』ほど保守的でもナショナリストでもないBBCも、この「vindication」という言葉をニュース紹介の冒頭で使っていました。もっともキャスターはウッドフォード氏に対して「This must be bitter for you(あなたにとって苦々しい話でしょうね)」と、「そらみろ、ですよね!」よりはトーンダウンした聴き方をしていたのが、とてもBBCらしいと思ったのですが。そして質問に対してウッドフォード氏は、「私のことはどうでもよくて、何よりのオリンパスの社員4万4000人のことが心配です」と訴えていました。「オリンパスには未来がありますか?」と尋ねられて、「オリンパスには未来があります。とてもいい製品を持っている。取締役会が会社のガンだったんです」とも言っていました。